活動報告
市長選、防災後援会、県議選

平成20年 7月・8月 
● 7月27日   市長選告示
  杉田市長が逝去されたことに伴い、50日以内に新たな市長を選ばなければならないということで、日程上ギリギリの7月27日告示、8月3日投票 で市長選挙が行われることになった。 しかしこの日に立候補の手続きをとったのは長谷川のり子候補のみで、夕方5時、受付の締め切りと同時に、無投票で新市長に当選ということとなった。 旧水海道市から選出され県議会議員として2期目を勤めていたが、県議を辞職し市長への転進となったわけである。
  常総市は合併によって誕生してから3年にも満たず、合併後初めての市長選挙によって当選した前杉田市長は、任期のほとんどを残したまま逝去された。 常総市のまちづくりはまさにこれからという時期、トップリーダーとして十分な仕事が出来なかったことは、本人も悔しいことであったと思うし新市 にとっても残念なことであった。新市長の下で速やかに活力ある市政を取り戻してもらいたいと思う。
  新市長は茨城県下初めての女性市長ということだ。市長の立候補に当たって、ふるさと常総「元気都市」宣言!というマニフェストを発表している。 非常に網羅的な内容で、活き活きじょうそうあったか市政を目指すという。市長の任期はこれから4年である。今後の行政手腕に期待したい。

● 8月24日   防災講演会
  新潟県旧山古志村村長で、現在は衆議院議員となっている長島忠美氏を迎えて、市の防災講演会が地域交流センター(豊田城)で開催された。 会場は市内の自治区長の呼びかけ等もあって、ほぼいっぱいの聴衆であった。講演では、村長として遭遇した中越大震災において、中心被災地の住民 非難と復興の陣頭指揮に当たった経験から、防災についての様々な教訓が語られ、意義深い講演会となった。
  平成16年10月23日に発生したM6.8の地震では、死者68名、負傷者4805名、被害総額3兆円という莫大な災害となっている。氏は夕方 自宅に帰ってところでこの地震が起きたとき、突然1メートルぐらい跳ね上がった、もちろん立っていることなども出来ず、しばらく すると今まで眺めていた周りの景色が変わっていたのだという。それから一段落するまでの153日間、自宅に戻らず役場に泊まり、それこそ不眠不休で 災害復興にあたり、なんとこの間、体重が13Kgも減ってしまった。このことだけでもいかにこの災害が大きなものであったかということ がわかると思う。もう山古志村は無くなってしまうのかと考えたこともあったというが、村を愛し村民を愛した村長の「山古志に帰ろう」という呼びかけも あって、村は短期間に大きな復興をとげることが出来たという。
  講演を聴いて、体験が人を大きく育てるものだということを強く感じさせられた。もちろんこうした災害は無いに越したことは無いが、天災は忘れた頃に やってくるという。一丁有事の際に万全の備えを期したいものだ。(写真は講演する長島氏)

● 8月31日   県議選
  長谷川県議会議員が市長選に立候補し、水海道地区選出の県議会議員が空席となったため、県議会議員の補欠選挙が行われた。候補者は常総市議会最大 会派友和会の推す五木田良一氏、すでに市議会議員8期、議長経験2回の大ベテランである。かたや常総市初代市長遠藤氏の長女で47歳の薬剤師、遠藤 ふみ江の一騎打ちとなった。
  もともと杉田市長の死去にともなう市長選、そして長谷川県議会議員の辞職に伴う、降って湧いた補欠選挙である。当日の有権者数は32,894である。 10日間の選挙期間があるものの、候補者ともに旧町内の出身で、結果は得票率43%に見られたように全地区への浸透は今一のようであった。 五木田氏が市議会議員8期という知名度を生かして7625票で当選(遠藤氏6530票)した。財政の問題を始め難問山積の茨城県議会、地元のために も頑張ってもらいたいと思う。

● その他
  7月 2日、議員文化部総会(鈴本で落語) 15日、坂東市と野球の練習試合。 18日、農業委員会調査会、議員全員協議会。  19日、県西地区議長会主催の野球大会(1回戦対坂東市、敗者復活戦対筑西市、ともにボロ負け) 25日、常総衛生組合監査。  27日、長谷川市長候補の出陣式。 28日、臨時議会。  29日、農業委員会総会。 8月 5日、農業委員会新旧顔合わせ。 20日、県議選公開討論会。 22日、遠藤県議候補の出陣式。  27日、議会運営委員会。 29日、八間掘土地改良・維持管理組合常任委員会。


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