活動報告
新年会、消防出初式、合併特別委員会

平成16年 1月
● 1月 1日から  新年会
  1月1日、五家地区で新年会があり招待される。元旦から新年会とはめずらしいと思ったが、元旦が一番 集まれるだろうと五家地区では毎年元旦が地区の新年会とのことだった。人と人とのふれあいというものは 本当に機会が少ないもので、隣の地区でありながら選挙後全く合っていなかった人も多く、新年会という機会に 挨拶ができることは本当にありがたいことである。
  元旦でもあり、自転車で出かけたので少しおよばれ過ぎた感もあるが、1人1人と酒を酌み交わし、いろいろな 意見を聞けたことは大変よかったと思う。「機会が多いのだから体を大切に、酒には気をつけろよ」というありがたい ご忠告もいただいた。根が好きなものでついつい過ぎるが、気をつけたいと思う。
  元旦から始まった新年会は、なんだかんだと月いっぱい続くことになる。日程が重なって挨拶だけで失礼したことも 多くお詫びしたい。結果的に新年会の数ほど飲む機会はなかったので、よかった部分もあるかもね!

● 1月 9日   賀詞交換会
  議員としてはじめての賀詞交換会に参加した。時節柄合併の話題があちこちで花咲いた。
  堀越吉男元市議会議長と久しぶりに会った。元議長とは28年前に、当時青年団OBで組織された 海外派遣協議会(市と農協から補助を受け、海外の農業事情を視察研修する会)の派遣第1陣として、 2人でヨ−ロッパ(7ヶ国)に出かけた経験がある。議会の大先輩でもあり、話も尽きず2次会となる。

● 1月11日   消防出初式
  常日ごろより市民の生命と財産を守るため訓練し活躍しておられる、消防団による出初式が寒風の中挙行された。 式典では数多くの20年30年と消防団活動を続けてこられた方々の表彰式があった。一口に20年30年と言うが、 この年月には言葉では言い表せないほどの思い出、経験があると思う。心から敬意を 表すると同時に、そうした思いを若い世代に引き継いでもらいたいと願う。(P1.市内の行進 P2.市役所広場で)

● 1月12日   2004年はたちのつどい
  私が二十歳になったのはもう32年も前だが、当時中断されていた成人式を「はたちのつどい」という新しい形で 復活させようということになり、その初代の実行委員長を務めたのが私だ。
  当時は高度経済成長があり、成人式に一部の人々が華美な着物姿などで参加するようになったが、まだまだ貧しい部分も多く、 そうした衣装を用意できない人との格差が問題となっていた。そこで普段着で自分たちの成人を自分たちで祝い、大人としての 自覚を持とうと、「はたちのつどい」と名を変え出発したと思う。
  久しぶりに参加した「はたちのつどい」。女性はほとんど着物姿、男性もス−ツでなく着物が目立ち、茶髪にピアスなど 隔世の感あり。市長や教育長の挨拶にもガヤガヤ、ペチャクチャ。よくテレビでやっているような成人式で暴れる姿は なかったが、「はたちのつどい」もなにか新しい時代のやり方を考える時期にきているのではないだろうか。

● 1月20日   合併特別委員会
  守谷市の法定期限内4市町村合併は不参加との方針を受けて、谷和原村からあらためて3市町村での合併を進めましょうとの 要請があり、10回目の水海道市議会合併推進特別委員会が開かれた。
  水海道市としてもこの要請を受け、谷和原村とともに、この時点では伊奈町に対して3市町村の合併を進めようということに なった。

● 1月31日   鬼怒中学校 立志のつどい
  鬼怒中学校の立志のつどいに招待された。「立志」すなわち志を立てる。なんともいい響きの言葉だ。孔子のことばに「我十有五 にして学を志す。三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知る。」とある。志は「学問」とは限らないが、 大志を抱き、おおいに羽ばたいてほしい。
  ところで「立志のつどい」に参加した中学2年生、そのすべての生徒が "平成" 生まれなのである。時代も変わるはずだなあと 感慨ひとしお。

● その他
  19日、農業委員会の調査会。27日、農業委員会総会、新年会
  最後に、こまかい報告は省略するが、はなはだ「新年会」という場での「ご挨拶」の多い月であった。


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