農業というのはまさに雑草との闘いである。米作りにおいても除草剤の無かった昔には、それこそ真夏真っ盛りの6・7月、朝から晩まで
連日田の草取りに追われるのが農家の大事な仕事であった。今日でも農薬に対する様々な評価があり、なるべく使わないという考え方もあって、
草の生えた田んぼの中で熱射に打たれながら田の草取りに打ち込んでいる人を時折見かける。こうした人を見かけるとつくづく闘っているなぁ
と感じるのである。
収穫の秋、今日ではもっぱらコンバインによる稲刈りだ。現代の機械は様々な改良が加えられ、結構倒伏した稲でも起こしながら刈り取ってしま
うものだが、今年は台風9号によって根元から倒伏した稲も多く、機械での刈り取りがムリな田んぼもあったようだ。しかし機械になれると手作業
というのは全くおっくうなもので、ムリでもいきおい機械で挑戦しせっかくの稔りを踏んづけてしまうのが常である。
ミレーという19世紀に活躍した写実主義の農民画家がいた。その代表的な作品に「落穂拾い」がある。収穫の後の落ちている穂を拾っているとこ
ろの絵である。
機械に踏んづけられた大量の稲穂をまえにして、「落穂拾い、これまでは単なる風景として見てきたが、穂を拾っている人の気持ちが心から
うなずけるよね!」というのが、真夏に草取りにおわれた情景がよみがえり、もったいないと穂を拾う妻の感想である。