長い間の戦乱の時代に終止符を打ち、江戸時代という太平の世を築いた徳川家康。260年に及ぶ平和な時代の基礎を築いた人物だが、
意外と日本人には好まれていなうようである。敵を徹底的に排除、すなわち孫千姫の婿である豊臣家の世継ぎ秀頼を殺し、後顧の憂いを
なくすという冷徹な人間性が好かれない理由かもしれない。しかし、真の平和とはこうしたキレイごとでは済まされない事の積み重ね
によって、作られるものではないだろうか。
これと対象的なのが平安末期の平清盛である。敵である源氏の嫡男源頼朝、義経兄弟を助けたことが大きな災いとなって、わずか20
数年後に平家一門が壇ノ浦の露と消えたことは、有名な歴史上の出来事である。無論、助けたことが最大の問題ではなく、武士でありながら
貴族のようになってしまった平家の生きざまに問題があったことはいうまでもないが、やり方によってはもう少し生きながらえたかも
知れないと思うのだ。
家康の言葉に、「人の一生は重き荷を背負うて、遠き道を行くが如し」というのがある。大変有名な言葉だが、実はまだ先がある。
続いて「急ぐべからず、人は負けるを知りて人に勝れり」という。
若いころ今川家に人質として送られ、苦い・苦しい経験があったればこそ、そうした経験がその後の彼の人生に大きな力となったことは異論
のないところであろう。
人間万事塞翁が馬。”塞翁の馬が逃げたが、北方の駿馬を率いて戻ってきた。喜んでその馬に乗った息子は落馬して足を折ったが、そのため
戦士とはならず命長らえた。”という故事だ。人間負けたことをよく検討して、その後に生かすことによって人に勝るという、まさに座右の銘
ともすべき名言である。