選挙に出た。市議会議員の選挙である。人の選挙のときは、選挙カーで毎日毎日名前を連呼して
いることを随分うるさく思ったものだが、いざ自分が出てみると、票をいただく、名前
を書いていただくということは、大変な事だと思い知らされる。いきおい選挙カーを繰り出し、「
秋田しげる、秋田しげるがご挨拶に参りました。」と、ひたすら名前の連呼と
なる。
社会の中で生活する人間は、さまざまな人とのふれあいの中で生きている。家庭があり、職場があり、
地域の人々との交流や、趣味の仲間たちの活動など、いろいろな人との出会いや別れがある。一人の
人間が一生の間に知り合える人は、どれくらいの数になるのだろう。そうとうの数になるに違いない。
しかし逆に、選挙を経験して思うことは、人間の付き合い、あるいはその活動範囲は本当に狭いものだという
ことである。普段の生活は、ほとんどの人が家庭と職場の往復に終始し、地域や趣味の仲間たちといっても、
気心の知れた付き合いの人というのは、かなり限られた人数に絞られてしまうのではないだろうか。
知っている人はたくさんいるのだが、選挙の候補者として認知されるのは至難だ。だが、選挙カーの
名前の連呼もそれなりの効能があるようだ。地元の小学校の通学道路で子どもたちに出会ったとき、向こうから
知らない子どもたちが私を指差し、「あ、あきたしげるだ」と握手を求められたのにはさすがにビックリ。
毎日いやというほど聞かされて、子どもたちにも知られたようだが、なるほど認知されるという
ことは、○×さんや×○君とかの「さん、くん」はなく、名前をフルネームで呼ばれることのようである。