2003年 5月
天命を知る

  中国の偉大な思想家孔子は、「我十有五歳にして学を志し、三十にして立つ。四十にして惑わず。五十 にして天命を知る。」という有名な言葉を残している。私は三十歳のころ、これは偉人である孔子だから いえることで、凡人の私にはとても「三十にして立つ。」など出来ようもなく、せめてこれからこの偉人の 十年遅れを目指そうと考えた。

  四十ぐらいまでには立てるようになりたいと思い、五十ぐらいになったらつまらない事に惑わされず、六十 にして天命を知ることが出来れば人生最高ではないか、と。

  だが、五十になってみてまず感じることは「老い」ということである。新聞を読むのに段々と離して読むよう になり、いつの間にか老眼鏡のお世話になっている。疲れたときでも若いときはひと晩寝ればスッキリした朝を 迎えたものだが、最近はそうもいかなくなっている。やれ「ウコン」がいいとか「黒酢」がいいとか、あれこれ 試すようになってきて思うことは、孔子のいった「五十にして天命を知る」とは、一般の普通の人間に対して 言ったのだということに思い至った。

  六十は還暦という。いわゆる一巡りだ。六十では耳も大分とおくなっているような気もするが、あと十年もしたら 耳に順う人間になりたいものである。


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