1990年12月
勝 負 手

  「じり貧」いかにもいやなイントネーションのある言葉だ。碁などの勝負ごとでよく使われるが、 打っているうちにだんだん悪くなり、結局最後には負けてしまうというような時に「じり貧」とい う訳だ。このじり貧に陥って、いつも負けてしまうような個性は、いわゆる勝負の世界ではあまり 上達しないと言われている。

  勝負事には決着が着くまでに勝負手と呼ばれる手を打つような局面が、 必ず2度や3度はあるものだ。そうした時に勝負手を打てるか打てないかが、大きくその勝負を左 右することになる。もちろんその勝負手がよい結果を生み出すとは限らない。結果的には大負けす るかも知れないが、勝つ可能性に賭ける事に意味があり、その勝負手が深い読みに裏付けられてい ればいる程勝つ可能性が高くなることは言うまでもない。

  「じり貧」と似たような言葉に「斜陽産業」というのがある。一時の石炭産業がそれである。黒いダ イヤといわれた時代から、今日の石油を中心としたエネルギー資源の変換によって、転げ落ちるよ うに衰退の道を歩んでしまったのは承知の通りだ。そして今日、日本の農業はどうだろう。最後の 砦とも言うべき米すら自由化の荒波にさらされており、農業を基盤とした農協もまた、急速に経営 基盤の危機に直面しようとしている。

  組織にとっても個人にとっても、勝負手を打たなければならない局面、即ち岐路に直面している のが今日であり、熟考一番、決断の新手を求めたい。


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