1986年11月
選挙と金

  選挙といえば“金がかかる”の代名詞ですらある今日。時代が進んでも、人と人との本物のつながりは なかなかできにくいもので、とくに広域選挙の場合には、知名度というのが最も重要となる。人柄や実 績等はどこかへふっとび、顔のイメージ作りや名前の連呼などが幅をきかせる。そして、飲ませられた 一杯の酒、実弾と呼ばれるなにがしかの現金によって票が動く選挙となりがちだ。

  お金というのは人の生活にとって大変便利なものである。ロビンソンクルーソーのように孤島に一人で 生活するような場合には、人にとってまったく無力であるはずのお金が、高度に組織された社会では、 命の次に大切なものとなってしまう。お金さえあればという人々の嘆きを幾度聞いたことか。

  寝だめ食いだめというのはたしかにできぬものだ。二・三日続けて眠って寝だめすることも不可能なこ とだし、一週間分も食べておくかといったら胃袋がパンクしてしまう。人の生理にかかわることは、どう にもためがきかぬものだが、人の生活にとって重要なものであるお金は、ためられるどころか金の集まっ ているところにはより一層集まるようにできているのが今日の社会である。

  金が物言う選挙である。ためた金はどうしてたまったか。たまった金の一部によって権力が維持される ことはないか。金のあるところに人が集まるのではなく、人によって票が集まる選挙を望みたいものだ。


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