“新人類”という言葉がとりざたされている。先日、双羽黒とシコ名を変え、第六十代横綱に昇進した
北尾関も新人類横綱と呼ばれているし、将棋の世界でも、大名人中原誠を若干二十三歳の若さで破り、
王将位を獲得した中村修王将も、どうやら新人類らしい。これらの人々は従来の人間とは異質の感覚を
持っているという。たとえば北尾の場合、封建的であるといわれる角力界で、けいこぎらいでパソコン
好きであったり、中村王将の場合は、攻めの局面で突然守りの手を指したりして、その異感覚をとりざ
たされている。
勤勉性で有名な日本民族が、まさに仕事が趣味であるという人生観を持って、ガムシャラに働き続けた
ことに対する批判というものが聞かれる今日である。最近の急激な円高攻勢によって、日本も輸出依存
型から内需拡大への変更論がさかんになり、働くことよりも休むことが奨励される時代となった。
人の価値観というものはなかなか変わらないもので、時代の変化を後追いするのが一般的だが、若い
世代はそうした時代の中で育つのだから、ストレートに今日的感覚を身につけるものなのだろう。“新
人類”云々はそれだけ時代の変化と世代の差が大きいということなのかもしれない。
新人類という評価は玉むし色である。良い意味もあるのだろうが、どうも若い世代の無気力、無感動
を揶揄したひびきが強い。もっともそうした感覚を旧人類と呼ぶのかもしれないが・・・・。