1985年 9月
心  眼

  “かかし”と言えば収穫の秋の風物である。精魂こめて育てあげた作物を鳥獣の被害から守るため、 竹やワラで人形を作り、田や畑に立てておく。どれ程の効果があるのか定かではないが、帽子をかぶ せたり、着物を着せたりした立派なかかしには、農民の作物を守りたいという心からの願いがこめられている。

  昨今、白い布地に黒く大きな目だけを書いたものが、田や畑につるしてある。かかしの効用につい ても科学のメスが入れられ、鳥たちは人の姿よりもその目におびえるということが解かり、もっとも 恐れるという目だけを書いたものがかかしにとって変わりつつある。

  鳥の目をごまかすことは、こんな程度なのであろうが、人の眼がそんなに単純なものでないことは言 うまでもない。人は見た映像を脳がとらえ、その脳の働きによってその本質を見る。極論すれば人は心 によって物を見ると言えるだろう。“心眼”という言葉の生まれるゆえんである。

  動物たちの世界では、自らの生を守るための自己防衛本能がある。鳥たちが目を恐れるのもこうした 本能の働きであるに違いない。心眼を持ち、心で物事の本質をとらえることのできる能力を持っている はずの人間。しかし日々の生活の中で、自分(自分たち)の立場や経験の中でのみ物を考え、行動する ことの何と多いことだろう。他人の立場に立ってみることを忘れないようにしたいものだ。“画竜点晴” と言われるが眼が重要なのは画に書かれた竜ばかりではない。


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