1984年 9月
より大きな器

  器とか器量という言葉を使って、人物を量ることがよくある。「俺の入れる器はない」と豪語した というのは豊臣秀吉の有名な話だが、とかく人間は自分のことは大きく考えたいもののようだし、 自らを客観視することは至難であると言えよう。

  人間社会は組織社会といわれるほど、さまざまな組織の基に個人があるが、組織というのはどんな 組織であっても、必ず上下の関係があって形作られている。こうした組織社会、タテの人間関係で あればこそ、そこには見栄や面子、また遠慮や卑下というものが往往にして介在する。人と人との トラブルや悩みに、こうした人間関係の問題がなんと多いことだろう。器が求められるゆえんである。

  他の動物に比較して、人間が特にすぐれているというのは、その脳の働きにあることは言うまでも ない。本能と呼ばれる脳の働きは親からの遺伝情報として子に伝えられるそうだ。しかし人間の脳 の大部分は生活の環境、すなわち個人の経験と学習によって作られるという。こう考えてみると、 器というのも長い人生の中で作られるものだと言えるのではないだろうか。

  タテ社会における横のつながり、誰とでも気軽に話し合え、誰からも学ぷことのできる人間的な幅 が、より大きな器と言えるのではないだろうか。感情という名の垣根を取りはずして考えて見た時に、 新たな視野が開かれる。より大きな器であるために、よりマクロ的な発想と、 よりミクロ的な配慮とを・・・。


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