1984年 8月
平等を考える

  「そんなに言うんなら自分でやれば!」とか「何よ自分だって何々しているくせに!」という言い方を よく耳にする。親子や夫婦の間でもそうだし、最近では、先生と生徒の間ですらこういう言葉が出て くるらしい。先生が子供たちに対して「自分たちの学校なんだから、きれいに掃除しなさい」と言え ば、「そんなに言うんなら自分でやれば」という具合である。何から何まで同じであることが平等で あるという平等観が、こうした言い方につながっているのではないだろうか。

  自由・平等・博愛というスローガンのもとに戦われたフランス革命はあまりにも有名だが、この平等 ということについて考えてみたい。革命当時のフランス社会は絶対王政と封建的な旧制度のもとにあ り、人間同士が差別された社会に対する怒りが平等のスローガンとなったものであろう。そして現代 民主主義は平等であることを柱としており、社会的差別に対する平等の主張は正義の主張であること は言うまでもない。

  社会的レベルの平等観が拡大解釈されて、日常の生活の中でさまざまな悪平等がつくりだされてはい ないだろうかと時々考えさせられる。人にはそれぞれの立場がある。親には親の、子には子の、そし て先生、生徒というそれぞれの立場。立場の違いを越えてすべて同じであることは悪平等以外の何も のでもない。日常の生活の中では、同じであるということよりも、お互いの立場の違いを理解し合う 「おもいやり」が欲しいものである。


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