「ご飯ですよ」というのが食事の代名詞であるように、米を食べることが食事であった日本人だが、
近頃は食生活もだいぶ変わってきて、豊かな食卓でも時々ご飯のないことがあるようだ。最近とかく
子供のしつけが話題になるが、昔は一家団らんの食事の時、必ずと言っていい程聞かされた言葉に
「一粒残さず食べなさい」というのがあった。たとえ一粒でも、長い時間と汗によって作られた米を
大切にする気持があり、裏返して言えば貧しい時代であったということかも知れない。
“三つ子の魂百まで”と言われるように、人には思想や生活習慣を形作る原体験というものがある。
幼い日の体験がその人の一生の考え方や行動の基本となる例は多い。米粒を残して叱られた経験の中
で育った世代は、豊かになった現在でもきれいに食べることが習慣となり、飯粒があちこちに残った
子供たちの茶わんを見ると、何か不快感を持つものだ。
戦後の世界に例のない経済成長を成しとげた日本民族の原体験を考えた時、そこにあるのはまさに
貧しきの体験ではなかったろうか。物のない時代の体験が勤労意欲を喚起し、ガムシャラな働きバチ
を作ったのではないだろうかと考える。
時は流れ「貧しさ」の知らない世代が登場。親たちは、一方では自分たちの体験を子供たちにさせ
たくないと思い、また一方では物を大切にしない子供たちに不安を持つ。こうした親たちの価値感の
相克が、子供たちのどういう原体験を作りだしているのだろうか・・・。