1984年 1月
人生の峠

  「あけましておめでとう」というのは、いわば年始に当たってのひとつのあいさつである。 あいさつであるのだから、その言葉の意味をそれぼど考えなくても良いのだろうが、幾度も あまりめでたくもない新年を迎えていると、心のこもったあいさつというものができなくな るものだ。

  人生の峠とはいやな言葉だが、肉体的には中年を迎えたころから、どうしようもなく“老 い”というものを知らされる。若いと思っていた女たちが、目尻にできた小ジワをまじまじ と見つめ、男たちは年ごとに薄くなる頭髪を思い、食事の後の楊枝が必需品となったことに 驚く。そして男女共、子供ができたわけでもないのに徐々にふくれてきた下腹を憂いるのだ

  人の記憶というものは、常に新しい体験によって置き変えられて行く。ふり返った過去の 記憶、そこにある光と影は瞬時に過ぎ去ってしまう。記憶の主流は最近の体験となり、現在 とわずかにさかのぼった過去が人の意識をとらえてしまうだろう。しかし、そこには確かに 堆積した過去があり、過去と同じ未来の時間を考えた時、その時間は膨大に見える。そして、 未来もまた確かに存在し、絶え間ない時間の流れの中で、速やかに確実に過去となる。

  一年一年を、否一日一日を目的を持って生き、肉体的な老いが精神的老いとなることのな いよう、新年をまた一つ年をとるといった感覚で迎えるようなことのない人生でありたいと 願いたい。そこには峠のない山があるばかりなのだ。


戻 る