1983年 6月
農機と土地利用

  連休に、いっせいに植えられた苗が、着実に根付き、田園はまさにグリーンのカーペットのごとくある。 毎年繰り返される風景だが、まさに生命の不思議さ、力強さに感動するこのごろだ。

  年に一回必ず繰り返されている田植え。農耕のはじまりから今日まで二千数百回の同じような繰り返しが あった。しかし、ここ十数年の作業風景の変わりようは大変なものだ。一昔前のかすり姿の女性達が十数 人も並んで植えていた光景が懐かしい。そして田植機の登場である。

  二条植えの田植機が登場した時は、 誰しも驚嘆の目を見張ったものだ。どうしてこんな小さな、やわらかい苗を機械で植えることができるの だろうかと。それからわずか十数年、今日ではあたり前のものとして、静かだった田植風景に、そのエン ジンの音を加えている。

  人間の欲望には限りがない。百八の煩悩に支配されているとは仏の悟りだが、二条植えの機械に驚いたの もつかのま、隣の田んぼで四条植えの田植機が動きだすと、人々は二倍歩くことにばかばかしくなる。そ して昨今では乗用が現れると、泥にまみれて植えていることをみじめに思う。

  こうした心理の動きは良く 言えば社会発展の原動力だが、何せ、平均一ヘクタールの背中である。二条植えでも二日の仕事なのだ。 機械の能力はどんどん拡大しても、それを生かす土地を拡大することは至難の業である。集落で話し合い、 土地、機械の有効利用をみんなで真剣に考えなければならない時代ではないだろうか。


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