地震、雷、火事、親父というのが昔から語り伝えられている怖いものベスト四だ。ところが最近、この
四番目の親父だけが極端にその地位を失ってしまったように思えてならない。昨今は怖いという実力を
剥奪され、親父のぬけがらとして父親と呼ばれている。
近年、青少年の犯罪が増加し、加えてその低年齢化ということが伝えられている。この犯罪の代表的な
ものに“万引き”があるが、言うまでもなく彼らは、その貧しさゆえに盗むのではなく、盗むこと自体
を楽しむという傾向があるようだ。こうした少年の家庭は、経済的には裕福だが、夫婦間が不仲で愛情
が薄い等精神的貧しさが問題視されている。
「現代杜会における最大のテーマは何か」という問いに対して、“教育”だと答える人が圧倒的だと言
われる程の“教育国家”日本だが現実の教育現場では、家庭で学校教育を云々し、学校では家庭を批判
するといった責任のなすり合いがしばし見うけられ、こうした青少年の非行をなくそうと考えた時、解
決には程遠い現実を思い知らされる。
日本語では教育と一言だが、英語ではインストラクションとエデュケイションというふうに教と育とを
分けて考えるようだ。単純な言い方をすれば、教の場が学校であり、育の場が家庭ではないだろうか。
四番目に復権する必要はないけれども、育の場としての家庭において、父親が子の教育は母の責任など
と逃避せず、家庭の中心としての父権の確立というものを考えてみたい。