1982年10月
本物の美味しさ

  読書の秋、芸術の秋、スポーツの秋等々、秋というのは何をやっても良い季節だ。そしてこの季節、馬肥ゆる 食欲の秋でもある。モリモリ食べて、元気に生活したいものだと思う。

  おいしいものを食べるということは、人が幸福に生きてゆく上で欠かせない条件であるが、最近、おいしい物 が少なくなったように思う。何を食べてもそれほどおいしいとは思わないし、なんとなく習慣で、一日三回の 食事をしている人が多いのではなかろうか。しかし、昔にくらべて食卓は豊かだ。加工肉等も多く摂られるよ うになった。本来なら、昔の貧しかった食事にくらべて幸福感のあるはずだが、なぜかそうではない。むしろ 質素だったが、正においしかった記憶は今よりも過去にある場合が多い。おいしいという感覚は、多分に食べ る側の条件に左右されるもののようだ。

  資本主義の発展はさまざまな機械を生みだし人間は多くの重労働から解放された。そのこと自体は結構なこと なのだが、人間が肉体労働から徐々に離れてゆくことによって、体の新陳代謝、すなわち、物を食べ、消化吸 収し、エネルギーを蓄え、労働によって発散するという循環が、かなり鈍くなってきているのではと考えられ る。こうしたことが食べる側の条件をつくり出しているのではなかろうか。

  何でも食べられるということは幸せなことなのだが、そうであればあるほど、食べ物を選ばなければならない という課題が残る。エネルギー消費の減退は、当然食事の制約をもたらすものだ。やれ糖分が多すぎるとか、 塩分控えてとか最近の健康管理は大変なものである。食べ物の選択と同じように体づくりという点にも気をつ け、体を動かす機会をたくさんつくることに心がけたいものだ。額に汗して働き、食べるおにぎりの味に、本 来のおいしさというものがあるのかもしれない。


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