夜空を色どる「花火」は、夏の風物として、私達の大きな楽しみの一つである。当地でも、一時中止されていた
花火大会が昨年から復活し、今年も多勢の市民が鬼怒の河畔に集まり、夏の夜をにぎわした。さてこの花火、最
近は非常に凝ったものが多い。色彩も緑やピンク、紫などさまざまに工夫され、形も単なる輪模様だけでなく、
枝垂れ柳のようなものなど、私達の目をみはらせるものが多い。
「花の生命は短くて……」という詞があるが、花火もその名の通り、花のようにあでやかで、瞬時のいのちだ。
ただ花火には、本物の花にはないもう一つの大きな要素があることを忘れてはならない。それは「音」の世界で
ある。夜空にしかけた大太鼓を、雷神様が力一杯たたいているような、空一面を震撼させるその爆音は、心よく胸
にひびき余韻を残す。もしも花火にその音がなかったなら、いかに色・形があざやかであったとしても、民衆の楽
しみとして育っては来なかったに違いない。
最近の花火は、色や形は見事だが、いかんせん音が弱いという印象が残る。昔の花火は大輪に咲く打ち上げ花火の
みで、何寸玉・尺玉とその大きさを競い合ったものだ。もちろん「音」もまた、その大きさに比例して、見事なも
のであったように思う。まさに「ズドン」というイメージから「パチパチ」というイメージに変わってしまったの
である。夏の夜、その音を楽しみに花火に出かけるのは、決して私一人ではないと思うのだが……。