一九八一年の年明け、蔵前で行われた大相撲の初場所は、七〇年代の象徴であった大関貴ノ花が、その体力の限界に達したとして引退。それに変わるニュースター千代の富士の登場となった。
この新旧の交替は、七〇年代から八〇年代という時代の変化を大きく印象づけた一事であった。
日本の国技である相撲は、長い歴史に支えられているだけに、我々日本人の心をとらえて離さないものがある。それにしても日本人とは、小さくて強い人が好きなようだ。
初場所における千代の富士は、その実力もさることながら、人気の点で他の力士を圧倒するものがあった。
相撲の勝負は瞬間的である。小さな土俵を割っても、足の裏以外が地面についても即、負けである。その勝負の単純さ故に、勝ち負けがハッキリしており、見ている者にスッキリとした感じが残るのだろう。
しかし、この勝負の世界が小さいということ(土俵の内での短時間の勝負)は、実力というものが真に問われることになる。横綱ともなれば、心・技・体の充実とよく言われる。あらゆる面ですぐれていなければ、いわゆる「とりこぼし」となる確率が高いからだ。
日本人の勝負感というのは、短時間に、勝ち負けのハッキリするものが好きなのだろう。逆に言えば、その世界の頂点に立つ者に、いっそうの厳しさを与えるものとなっている。
相撲が単に見るスポーツではなく、実践するスポーツとして、国民の間に定着してほしいものである。