1980年11月
車は「お宝」

  “車社会”という言葉があるくらい今の日本は車、車、車の洪水だ。石油不安をシリメに街にはあらゆる車が、 まるで生き物のように蠢いている。街でもそうだが農村でも最近は、一人に一台という普及ぶりだ。まさに車 は、いまや人間の足となった感がある。

  日本はよく、「勤勉でよく働き、いつも忙しい」と言われるが、悪く言えば「せっかち」で「気みじか」であ るとも言えるだろう。車の利用でも、こんな性格がいろいろな点で現れる。たとえば交差点で赤信号が青に変 わった時など、前の車がほんの一秒でも発進しないでいると、後からブーブーとクラクションを鳴らす光景が よく見かけられる。また、ほんの少しでも接触したりすると、どちらが悪いとか、いくら出せとかたいへんなものだ。

  先日、ヨーロッパを訪問した人から聞いた話だが、ヨーロッパの街にはほとんど板金屋というのがないらしい。 そして接触事故等はさして気にかけるふうもなく、「ゴメンナサイ」といった感じで、キズだらけの車が多かっ たらしい。ヨーロッパ人の考え方では、車は単なる乗り物で、動かなくなったら新しいのと取り替えるというわけだ。

  日本人にとって車というのは、なにか一種の「宝」、「財産」といった感じが強いのではなかろうか。特に若 い人達の間では、接触事故なども「宝」を相手としているので、とかく摩擦のタネになり易いのだろう。物が あることによって心の貧しさが拡大されることのないように、「心の豊かさ」ということを再考したいものである。


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