1980年10月
ふるさとの山

  啄木の詩に「ふるさとの山に向かひて言うことなし、ふるさとの山はありがたきかな。」と言うのがある。 岩手の山村に生まれ、二十七才の若さでこの世を去った彼。その彼にとって、ふるさと阿武隈の山々は、お おしく、そしていつも変らずに在り、力づけ、励ましてくれる存在としてあったのだろう。そして、故郷に 帰れば、いつも変らずにいて迎えてくれる。そんな山々が、「ありがたく」感じられたに違いない。

  関東の平野に育ち、土着の民である我々には、「ふるさとの山」という感じはあまりないのだが、ガマの油 で有名な筑波の山が、親しみやすい山として、我々の前に、その雄姿を見せている。

  先日、ふと思いたち、十何年ぶりかに筑波登山を試みた。今はもうこの山にも、ケーブルカー、ロープウェ ー、スカイラインと文明の利器が備わり、直接歩くことなく、山頂から県西、県南が一望に見渡すことができる。

  しかし、山は登ってこその山であろう。リュックを背負って神社から登ると、その道程は意外に長く、普段 の運動不足を思い知らされる。身近にありすぎて普段はあまり気づかないのだが、とかく運動不足になりが ちな現代人にとって、筑波は格好の「運動場」となるのだ。

  たっぷりと汗を流し、食べるおにぎりの味もまた格別だ。だが、展望台で見かける多勢の人々は、背広を着 たり、ハイヒールをはいたり。彼らにとって、筑波の山は、ありがたいでもなく、ありがたくないでもないようだ。


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