「飢餓地獄」このタイトルは、先日NHKの大河ドラマ“黄金の日日”で放映された、秀吉軍の鳥取城兵糧ぜめをモデルにした内容のものである。ごらんになった方も多いと思われるが、秀吉は中国進攻をはばむ無類の堅城、“鳥取城”
を攻めるにあたって、その前年から、米を市価の三倍値で買い占め、城を包囲しての兵糧ぜめで、戦かわずして、
鳥取城を攻略したのだ。
そして城内にとじこめられた七千人の、食うもののない地獄のあり様が描写されていた。
いかに金銀財宝をたくさんもっていたとて、食うものがなければ………。人間にとって何が主も大切かを考えさせるドラマであった。
話は一転するが、最近、食糧戦略という言葉がさかんに言われている。穀物自給率が三七%という日本。戦略物質としての穀物。もし日本が鳥取城に包囲された毛利方で、アメリカが秀吉軍にたとえるなら、
いささか飛躍はするが、日本の運命はアメリカの手中にあるといわざるを得ない。高度成長で、財貨はしたたかに蓄めこんだ日本だが、食糧を依存したがゆえに、毛利方と同じ運命をたどらないと、だれが断言できるだろう。
米は日本人の命なのだ。米だけとってみれば余っているかもしれないが、減反を強制し、転作といっても、何を作ったら良いかとまどう今日。円高で、外圧が農作物に集中している今日。
命の綱の食糧を、民族自立の立場から、もう一度考えなおしてみたいものだ。