1978年 5月
変わり行く農村

  目に青葉山ほととぎすはつ鰹。野に山に草木の息吹きがあざやかによみがえり、新緑が眼に痛い季節。農作業にとっても最も忙しい季節となった。手を入れた田んぼには、稚い苗が豊作を願う農民たちの期待とともに息づき始めている。

ついひと昔前までは、かすりの着物に身をつつみ、若い娘さんや母ちゃん達が苗を植える姿が、農村の当たり前の風景としてあったもの。そして今日、機械の普及で、五月でさえも人のまばらな田園風景。

  農村は豊かになった。?確に農機具の普及で重労働からは解放された。生活も、電気製品や自動車によって便利にはなった。しかし反面、現金収入を得るための出かせぎは、農村の人と人とのつながりを疎遠にし、忙しい人々をたくさんつくりだした。 昔は食べものも貧しかった。しかし、七日も十日も村祭りに興じ、ここらから豊作を喜び合った。草かごをしょって、夕方になるとわざわざ隣村まで草刈りに出かけた日々。そんな昔を懐かしく思いおこしているのは決して私一人ではないだろう。

  百七十万d、三十九万haの減反は、豊作を願うことさえ罪悪感を感じさせる。米とともに悩み、米とともに成長してきた日本民族は、米が余ったことを喜べない民族に変わってしまった。
  人間に偉大な恵みを与えてくれる自然。その自然摂理を、春になれば芽を吹き、秋になれば稔りの自然の恵みを、冒涜しないで生きられる農民になりたいものだと心から願ってやまない。


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