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「 ボランティア 」  2015年11月


 鬼が怒る川、鬼怒川。どうしてこのような恐ろしい名前が付いたのだろう。いろいろな説があるようだが、栃木県の日光方面に降った雨がその落差ゆえに 怒涛の如く流れ下るのが、まさに鬼が怒っているようだということから命名されたのかもしれない。その川が暴れた。平成27年9月、三坂地区堤防決壊による洪水は、市の半分 を飲み込み、住宅被害は全壊50件、大規模半壊914件、半壊2,773件、床下浸水2,264件という大災害となった。9月10日の堤防決壊時以来2ケ月が経過した今も 洪水被害の爪跡がなま生しく残り、家に戻れず避難所で過ごしておられる方がいまだ2百数十名おられるという。

  我が家は堤防決壊場所より2.5Kmほど下流で、堤防からわずか100m程度のところにある。決壊した日には朝から5、6度土手まで川の様子を見に行ったが、もう十数センチで 土手を越水するのではないかというほどの増水で、生まれてこの方見たことがない鬼怒川の恐ろしさであった。これではもうどこか決壊するのではと思っているうちに三坂地区で切れた。 それから1時間もしないうちに30センチも水位が下がってしまったことを、昨日のように思い出す。川沿いの我が家だが比較的地盤が高かったせいか、洪水は庭先に10センチほど の高さで押し寄せ、長屋にわずかに侵入したものの助かった。 近所でもたくさんの人が床上浸水にあった。また1階の天井や2階の床まで届いたような住宅被害を全壊というそうだが、そうした被災の知人の家もある。水が引いた後知人宅を 訪れたが、まさに呆然と立ち尽くした知人の姿がそこにあった。

  東日本大震災のとき、日本人は素晴らしいと外国の人々から称賛されたのは、被災時の人々の助け合いや譲り合いのいわゆる「和」の精神が、世界の人々を感動させたのだと思う。 そして膨大な数のボランティアが津波に襲われた地域に入り、奉仕活動を展開したことは記憶に新しい。今回自らの地域が被災し、9月の連休などには1日 数千人ものボランティアが我が常総市を助けに来てくれた。私も緊急動員で、ボランティアの道案内をするボランティアに参加した。道路が寸断されたりして迂回して現場に 行かざるを得なかったり、ボランティアが現場での作業中に怪我したりすることもあるので、看護師のボランティアが待機しているのだが、その看護師の道案内が私の仕事であった。 怪我で頭から血を流しているボランティアがいたので看護師を連れて行ったら、「お手伝いに来たのに私がお世話になちゃって申し訳ありません」とそのボランティア。まさに 日本人である。常総市災害ボランティアセンターで11月15日までのボランティア受付人数は延べ34,773人。そして2ケ月たった今でもその活動は続いている。感謝!!

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