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「 自 由 」  2010年 3月


 咸臨丸に乗ってアメリカに渡った福沢諭吉は、かの国における制度「選挙によって大統領が選ばれること」やその雰囲気「フリーという概念に支えられた闊達な人々の様子」にたいへん触発されたようだ。そしてフリーとういう感覚・概念が当時に日本になかったため、これの日本語訳に戸惑ったようだが、熟考の末、「自由」すなわち自らを由(よし)とするということで、自由というのがフリーの日本語訳となったらしい。

  法治国家である今日の日本では、自由だからといっても何でもやって良いということでは無論ない。法によって定められたルールを守り、他人に迷惑をかけない生き方が求められることはいうまでも無い。ただ、一般的にいう自由という言葉には、何でもやって良いような解釈やニュアンスがある。ここで自由というものの定義を考えてみたい。

  逆説的な言い方だが、自由では無い、不自由というのはどういう状態かと考える。身体的に拘束されたりしていればもちろん不自由に違いないが、もっと広い意味では、予定通りにいかないこと、想定外の事態に出会って困惑したこと、すなわち思い通りに行かない状態を不自由、自らを由としないということではないだろうか。であるならば、自由とはまさに将来を見通す力があり、将来を予測できるということではないだろうか。

  ドイツの哲学者ヘーゲルは「自由とは必然性の洞察である」と看破したが、昨今、なにかと迷走している日本。もっと自由でありたいものである。

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